僕の町は小さな町で、名物といえば桜並木(通称「桜トンネル)だけだった。満開の時期になると、なぜだかどこからともなく人があふれてくる。例のごとく、ちゃんと「桜まつり」も用意されていたりする。ただ、桜の花の寿命と同じく、彼らもまた、瞬きのように消えて行く。
彼等の息吹きが消え、花に早く散れとばかりに新芽が台頭し始めた頃、僕ら家族は墓参りに出かけた。何回目かの祖母の命日だった。外に出てみて、はじめて僕はセーターを着てきたことを悔やんだ。どうやら僕の家の中は、外よりも体感温度が低いらしい。
祖父は、葬式のときあれほど泣いていてのにも関わらず、お盆や命日など、何かイベントがあるとき(つまり年3回)しか祖母を訪れようとしない。といっても別に墓は遠いわけでもないが、基本的に霊や宗教には、まったく興味もないので、死んだらそれまでという思いがあるのかもしれなかった。
祖母の墓はまだ墓石が立っておらず、卒塔婆だけが並んでいる状態だった。そのまだ荒地のような墓周りの草刈りをするのは祖父の役目で、僕は花や線香をあげ終わった後、その様子をじっと見ていた。
そこには昔飼っていた猫も土葬で隅のほうに眠っている。小さな石がのっているだけの簡単な墓だ。僕は、その上に生えている草を刈ってほしくなかった。そこから生えてきた草は間違いなく彼女を養分としている。彼女が土に還った証拠だ。それは彼女自身だ。
祖父は猫嫌いなので決して線香をあげない。草を刈っている時、彼女の墓石を踏んでも何とも思わない人だ。だから僕は猫の墓の所まで草を刈ることはないとふんでいた。
しかし僕の期待は見事に覆され、残念なことにその一帯は祖父の手によってきれいに緑を剥ぎ取られてしまった。サイクルが失われてしまったのだ。
ふと上を見ると、雪がチラチラと降っていた。一瞬そう思ったが、それは最後まで頑張って枝についていた桜の花びら達だった。草のにおいもする。ああ、春だなと思う。
帰りの車の中で窓を開けて外を覗くと、もう既に緑が息吹き始めていてムッとする草のにおいが脳の中に蘇った。いつの間にか季節が変わっていたのだ。
そしてまた来年、桜の花が咲き始めた頃、多くの人が桜の花びらとともにこの町を埋めて行くのだろう。 |