「ねえ、ヨシザワ」
「なに?」
「世の中春だねえ」
「ナカニシ、今は秋だよ」
「いや、そうじゃなくてさ」
「・・・少し風が冷たいな」
「あ、そう? じゃ窓閉めるよ」
あたしは窓を閉めた。ガラスはカラカラと音を立てながら、レールの上を流れた。ヨシザワの髪をなでていた風はハタリと止まった。校庭の、部活をしている生徒達の声が遠くなった。あたしは閉めた窓のガラス越しに、眼下でうごめく人間達を眺めていた。二階の物理室には、あたしとヨシザワの二人きりだった。ヨシザワは窓辺で本を読み、あたしは校庭を眺める。いつもの放課後だ。それ以上でもそれ以下でもない。時折言葉をかわす。
ヨシザワとは半年前に知り合った。クラスは違う。あたしは、大人数で群れたり遊んだりするのが苦手だった。部活には入っているが活動には参加しない。でも学校は嫌いじゃない。何て言うか、匂いが好きだ。体育館は木やゴムの匂いがする。廊下は雨の匂いがする。物理室は水と鉄の匂いがする。
放課後の物理室には、人が来ない。お気に入りだ。最初は一人になるためにここに来たのだが、いつの間にかヨシザワも居座っていた。ヨシザワは変な奴だった。初めて会った時も、ヨシザワは本を持っていた。何やら分厚い本だった。いつものようにあたしが物理室から校庭を眺めていたら、ヨシザワが静かにやってきた。
「ここ空いてる?」
と、ヨシザワは窓辺に近い椅子を指さした。
「・・・空いてるんじゃない?」
あたしはそう返答した。ヨシザワは何事もなかったように、その椅子に腰掛けて黙々と本を読み出した。少しびっくりしたが、嫌な感じではなかった。その日、ヨシザワと声を交わしたのはそれだけだった。不思議だが、一人の空間に誰かが入ってきたのに、それまでの空気とあまり変化がなかった。だからあたしはそのまま放っておく事にした。ヨシザワは、他の生徒に感じるような変な匂いがしなかった。透明な空気をまとっていた。それ以来、ヨシザワとは放課後のこの時間帯だけ、一緒に過ごすようになっていた。
「それで?」
ふいにヨシザワが話を再開した。いつもこうだ。本を読んでいるせいか、話をしていても突如話が途切れて、また突然再開するのだ。話したくないわけでもなく、話を忘れているわけでもない。これが独特のヨシザワの会話のペースなのだ。別にあたしはそれについては文句はない。人には人のペースがある。
「なんだっけ」
あたしは忘れっぽい。
「“世の中春だねえ”」
ヨシザワが、さっきのあたしのセリフを丁寧に繰り返した。
「ああ、そう。春だね」
「だから、今は秋だって」
ヨシザワが珍しく笑った。笑ったと言っても、ちょっと微笑む程度だが。
「知ってるよ。そういう意味じゃなくてさ、恋の季節だなって事だよ」
ヨシザワが、これまた珍しくびっくりしている。思わず本から目を上げている。
「どうしたの? ナカニシ。変な薬でも飲んだ?」
「どういう意味だよ」
あたしはちょっとヨシザワを睨んだ。
「そういう意味だよ」
ヨシザワは平然と答える。ヨシザワには怒るだけ無駄だ。相手にしてないんだから。あたしは話を続ける事にした。
「いや、クラスの子達がさ、最近そんな話ばっかりしてるんだよ。みんな付き合ったとか別れたとか、そういうの。ここの所、急にその手の話題で盛り上がってるんだよね」
「ああ、文化祭が近いからじゃない?」
ヨシザワはしれっと答えて、また本に目を戻した。
「文化祭が近いと、そういう風になるのか?」
「世間一般ではそうみたいだよ」
「ふ〜ん。そんなもんなの?」
「おそらくね」
ヨシザワも世間一般から外れてると思うけど。
「ナカニシ」
「うん?」
「ナカニシにもあったの?」
「え、ああ、あったような、なかったような」
「あったんだ」
ヨシザワは相変わらず本から目を離さない。
「うん。まあ・・・」
「そう」
それ以上、ヨシザワは話を続けることなく、また黙々と本を読み始めた。あたしは話を続けた。
「コクハクをされた。ひとつ上の学年の人。付き合って下さいって」
「・・・」
ヨシザワは、聞いているのかいないのか、返事をしない。
「なんか、よく分からん。あたし知らない人だし。何であたしにそんな事言うんだかさっぱり分からん。よっぽど女がいないのか? 何でよりによってあたしなんだ」
あたしはブツブツと独り言のように続けた。
「なんで?」
ヨシザワは急に本を閉じ、あたしを見てそう言った。
「え?」
あたしはヨシザワが何を質問しているのか分からなかった。
「なんで、その話を俺にしたの?」
ヨシザワの意外な発言。
「えっと・・・。何でだろ。あれ?」
そういえば、何であたしはヨシザワにこんな話をしたんだろう。自分でもよく分からない。悩むあたしに、ヨシザワはまたびっくりするような事を言った。
「かわいいからだよ」
「は?」
頓狂な返事をしたあたしに、ヨシザワは続けた。
「ナカニシが、かわいいから告白されたんだよ」
思わず絶句だ。ヨシザワはそういう事をいう男じゃない。そんな事一度も言われた事もないし、そういう関係でもない。でもいつになく強気だ。
「返事は? もうその人に返事はしたの?」
「あ、返事。いや、まだ・・・」
あたしはすでにしどろもどろだ。
「そう」
ヨシザワは、そう言うと立ち上がって、物理室の出口に向かった。
「ヨ、ヨシザワ・・・」
あたしは何を言って良いのか分からなかった。ヨシザワは振り返らずにそこを後にした。あたしは腰が抜けて動けなかった。
「一体なんなんだ・・・」
遠くで、金属バッドにボールが当たる音が聞こえた。かけ声と笑い声が響いていた。あたしの心臓は今まで聞いた事がないくらいに、異常にバクバクと鼓動を打っていた。
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