恋 ス ル 身 体

7



 駐車場を抜けると、緑が茂る公園に出た。プールのように大きな四角い噴水池の両脇に、等間隔に二人掛けの石のベンチが並べられている。ベンチとベンチの間には背の高い木々が植えられている。しかしそこには座る者も、訪れる者もいないようだ。手を触れるとひんやりして少しチリチリした。酸の雪のせいだ。公園内の植物は気持ち悪いくらいに青々としている。この寒さでも、酸の雪でも枯れない不自然な緑だ。緑は人の心を癒すものかも知れないけど、こんな不自然な人工物で一体誰の心が癒されるのだろう。ここは誰も訪れない。汚れる事もない。公園は、いつでもきれいに管理されていなくてはならない。そういう決まりだ。街の至る所にこんな公園がいくつもある。
 博物館は、その大きな公園の敷地の一角にあった。ロックによれば、今ではその建物は廃屋になっているらしい。だから、正確には元博物館という事になる。例のサイトはこの博物館の遺物だが、そこに何者かが手を加えていた。
 しばらく歩き、博物館の前に着いた。端から端まで歩くと、思っていたよりも広い公園だった。半円をいくつか無造作に重ねたようなその建物は、真っ黒だった。遠くで見た時にガラス張りだと思いこんでいた壁は、きれいに磨かれた黒い大理石が光っていたものだった。鏡のように反射している。誰もいないのにきれいに磨かれている。
「ガラスみたいだね」
 つるんとした滑らかな壁を指で触る。冷たい。そのままスルスルと壁に指を滑らせる。しばらくその辺りを移動する。しかし、そこにはあるべき物がない。
「あれ?」
 入り口らしい所がないのだ。凹凸さえもない。
「ロック、入り口ってどこにあるの?」
「なさそうだな」
 ロックは冷静だ。
「え?」
「入り口が細工されている。アサギ、試しに建物一周して探してみるか?」
 ロックが“無い”と言っているのに、僕が探したところで見つかるはずがない。僕はため息をついた。
「まあ、今回は時間も無いから冗談はなしだ」
 冗談だったのか。どちらかと言うと嫌がらせに近い気がするが。僕が小声でブツブツ言っていると、ロックは突然大きな声で話し始めた。
「入り口がないな! 破壊して中に入るか!」
 僕は突然の事にびっくりした。ロックの言っている内容もそうだが、それ以前に彼が大声を上げた事にだ。僕に向かって、と言うよりも、誰かに向かって言っているような感じだ。
「ど、どうしたの? ロック。誰に話してるの?」
 オロオロしている僕に構わず、ロックは上着のポケットから手慣れたように小型の爆弾を取り出した。この人は常日頃からこんなものを持ち歩いているのだろうか。
「ちょっと待って! ロック、早まらないでよ!」
 制止しようとする僕に、ロックはニヤリと笑いかけた。同時に、何も無かった目の前の壁が音もなくパックリと口を開け始めた。それは見る間に大きくなり、ちょうど人が入れるくらいの大きさ、つまり入り口となったのだ。唖然とする僕に、ロックは言った。
「作戦成功だな」
 入り口は僕らを受け入れ、その直後その姿を再び消した。

 非常灯の小さな灯りを頼りに、僕達は博物館の中を進んでいった。所々、その灯りに照らされるように色々な顔が浮かんでいる。金髪や黒髪。熊の形をしたもの。
「ここ、何の博物館だったの? ロボット?」
「ロボットじゃない。今の時代、ヒト型ロボットなんて置いてたらすぐに政府に捕まるさ」
 僕達の話し声と、コツコツという靴音だけが響いている。静かだ。
「じゃ、これは何なの?」
「もっと旧世界のもの。I.C.さえも入っていない動かない人形だよ」
「動かない人形?」
『動く人形もあるわよ』
 突然割り込んできた声。ロックの声ではない。電子音が混じっているが、僕には分かる。聞き慣れた、懐かしい声。彼女だ。
「アカネ!」
 僕は叫んだ。叫んだ声は震えていた。
『そんなに大きな声を出さなくても聞こえるわよ、アサギ』
 アカネは、突如僕達の前に姿を現した。赤い髪が揺れている。ずっとずっと会いたかった。一日も忘れた事はない。あの頃と変わらない姿。
「アカネ!」
 アカネに向かって駆け出そうとした僕を、後ろから制する人がいた。ロックだ。がっちりと僕の腕を掴んでいる。
「何するんだ、ロック! 離してよ!」
 暴れる僕に、ロックは静かに言った。 
「落ち着け、アサギ。あれはホログラムだ」
「ホロ、グラム……?」
 アカネの姿をよく見ると、向こうの壁が透けて見える。生きている人間ならそんな事はあり得ない。ロックの言う通り、今僕達の目の前にいるのは、アカネのホログラムらしい。
「アカネ……」
 せっかく再会できたと思ったのに。
『ちょっと、そんな顔しないでよ。私の体はちゃんとここにあるわよ』
「ここって?」
『この博物館の中。さっき言ったでしょう? 動く人形もあるって。この中に隠しているの。まあ、正確には人間だから人形じゃないけどね』
「隠す?」
『木は森の中に隠せって言うでしょう?』
 アカネの答えは、いまいち答えになっていないような気がする。
「なぜホログラムなんだ」
 ロックが口をはさんできた。
『あたしの体はまだ眠りから覚めていない。今は意識だけが存在している。詳しくはあの人に聞いてよ。ところで、あなた誰?』
「ロックだ」
『そう。噂は聞いてるわ。あたしはアカネ。知ってると思うけど。来て。あなた達を案内するわ』
「案内するって、どこに?」
 今度は僕が口をはさんだ。
『決まってるでしょう? ドクターの所よ』

 頭の中がぐるぐる回っている。どのくらい歩いたのか、何に乗って移動したのかも分からない。ただアカネに促されるままに進んでいく。 
 ドクター。やっぱりここにドクターが居るんだ。心臓がドクドクいっている。手が震えて足がすくんでしまう。どうしよう。五年ぶりに会えるんだ。なんて言えばいいんだろう。ドクターは僕の事を覚えているんだろうか。もしかしたら、僕の事なんてもう忘れてしまったかも知れない。だって僕はあの時、ドクターに捨てられたんだ。それを今になってノコノコ会いに行って、迷惑だなんて思われたら。
「どうしよう。僕、会わない方がいいのかな」
「それはないと思うぞ」
 一瞬心臓が止まる。低い声。でもロックの声じゃない。ずっと、僕はこの声を忘れた事はなかった。後ろを振り返りたいのに、怖くて動けない。
「アサギ」
 ずっと耳に焼き付いていた声だ。ドクターの声。
「おっと」
 思わず落としそうなった僕の腕から、ドクターは寸でのところで沈丁花の鉢を拾い上げた。
「これを落とされたら、この五年が無駄になるからな」
 ドクターは花をゆっくりと床に置いて、そして僕の肩を優しく掴んで振り向かせた。
「アサギ、抱きしめてもいいか?」
 返事を待たずにドクターはそっと僕を抱き寄せた。僕は何もしゃべれず、涙しか出なかった。自分でもよく分からない。そんな僕にまるで感心するみたいにドクターは言った。
「お前、大きくなったな」

 気づくと、周りは先程までの人形達がいた空間とは違っていた。高い天井からは人工太陽の光が降り注いでいる。どこかで水の流れる音がする。何より、足元を埋め尽くすような部屋一面の沈丁花。
「これ……。ここは一体……」
「博物館の地下だよ。さっきエレベーターで下りてきただろう?」
「え、そういえば、そんな気も」
 考え事ばかりしていて全然気づかなかった。博物館の下にこんな地下があったなんて。
「いいだろ?」
 ドクターが嬉しそうに言う。
「いつの間にこんなもの作ってたんだか」
 ロックが呆れた口調で言った。そういえばロックも一緒だったんだ。あまりの事に忘れていた。
「それにしても、でかい声だったな」
 ふいに、ドクターがロックにニヤリと笑いかけた。おそらく、さっきロックが入り口で大声で喚いていた事だ。
「アピールしたんだよ」
 ロックもニヤリと笑い返した。
「まったく。気軽に壊されちゃたまらん」
「そんな気はなかったさ」
「知ってるよ。実に下手な芝居だった」
 二人はフフッと笑っている。ドクターとロックが話している所を初めて見た。僕には入り込めない、独特の空気がそこにはあった。僕はこんな二人を見た事がない。対等な関係だった。
 そうだ、アカネ。そういえばさっきからアカネの声がしない。
「アカネは? どこに行ったんですか? さっきまで一緒にいたのに。姿は見えなかったけど」
「そういえば消えたな」
 ロックもアカネが居なくなった事に気付かなかったらしい。
「自分の体に戻ったんだろう」
 ドクターが当然のように答えた。
「え? どういう事ですか?」
「そういえば、さっきアカネは自分の体はここにあると言っていたな。なぜ彼女はホログラムだったんだ?」
 やはりロックもアカネの言っていた事に納得していなかったようだ。
「ホログラム? 誰が?」
 ドクターはきょとんとしている。
「アカネだよ。俺たちはさっきアカネのホログラムに案内されて、この地下室に着いたんだ。あんたの仕業だろう?」
「確かにアカネには二人の道案内を頼んだが……。ああ、そうか。なるほど、ホログラムね」
 ドクターは一人で納得してニヤニヤしている。僕とロックは顔を見合わせた。確かにさっき僕達は、博物館の入り口でアカネのホログラムに会ったはずだ。
「どういう事だ」
 ロックがカチンときているのが分かった。
「いや、そう怒るなよ。お前達がさっき会ったアカネ。あれはホログラムじゃない。彼女の精神体さ」
「精神、体? え? それって幽霊って事ですか?」
 僕は背筋がゾクッとした。やっぱりアカネは死んでいたのだろうか?
「幽霊じゃない。もちろん死んでなんかいない。精神体は、ホログラムのように実態を持たない。簡単に言うと、脳波の電磁波を利用して具現化させたものだ」
「脳波……」
 そういえば、ロックがアカネの脳波は特殊だと言っていた。
「ただ、今彼女の体は眠っている。彼女の脳手術は既に成功している。だが、まだ起きあがるには体に負担がかかりすぎる。何度も手術を施したからな。精神体を体の外部に飛ばせる事は、脳波の解析をしている段階で偶然発見した。脳に負担がかかるため、今のところ一日十数分が限界だ。体がある場所から遠くに離れる事もできない。移動と言ってもせいぜいこの館内ぐらいだろうな」
「アカネは、大丈夫なんですか?」
 僕は悲しくなった。生きていたのが救いだけど。
「心配するな。もう少ししたら目も覚めるだろう。それに彼女との契約も今日で切れる」
「契約?」
「そう。契約。彼女の命を救う代わりに、彼女の脳波の解析をさせる事、ウイルスを作る事に協力する事」
「話の途中だが、俺達はドクターに聞きたい事が山ほどあるんだが」
 ロックは待ちきれない様子で話に割ってきた。
「相変わらずせっかちな男だな」
 ドクターはため息をついた。
「二つも届け物をしてやったのに、そういう言い草かよ」
「そうだったな。すまんすまん。ありがとう、ロック。感謝してるよ」
 そう言うと、ドクターは沈丁花の株を片手で持ち上げ、もう片方の手で僕の頭を乱暴に撫でた。
「あんたに礼を言われると気持ち悪い」
「せっかく礼を言ったのに、そういう言い草かよ」
 今度はドクターがロックに向かって言った。口調のわりにはお互い楽しそうだ。変なの。

 「では、早速ショウを始めようか」
 ドクターは沈丁花の群生地の奥にあるモニター室を指さした。ガラスで仕切られたその部屋には、いくつものモニターが並べられていた。