恋 ス ル 身 体

5


 
 「アサギ」
 肩を揺すられて、我に返った。
「アサギ、どうした。気分が悪いのか?」
 目の前に、心配そうに僕の顔をのぞき込むロックの顔が見えた。いつの間にか、ロックは走らせていた車を路肩に止めていた。道路を行き交う車は少ない。時折すれ違う車は、運送トラックや高級車ばかりだ。ロックの愛車は旧式の青いスポーツカーで、なめらかな流線型のフォルムは、クラシカルだが今では逆に新鮮だ。ロックはめったにその車に人を乗せる事がない。今日は特別に助手席に乗せてもらっていた。深く座り込むシートは、早さを追求した車である事を物語る。僕はいつの間にか、そのシートの中で膝を丸めていたらしい。
「大丈夫か?」
 ロックの心配そうな声。今日の僕はロックに心配をかけてばかりだ。
「うん、ごめん。平気。ちょっと昔の事を思いだしただけ」
「……そうか」
 ロックは僕の顔から視線を外す。いつもそれ以上の事は聞かない。僕もいつもはそれ以上の事を話さない。でも今日は話そうと思う。僕は抱えていた膝をきちんと座席の形に合わせ、シートに座り直した。固いクッションなのに、包み込むように優しく体にフィットするシートは、まるでロックのようだ。
「……ロック、昔の話をしてもいい?」
「ああ」
 ロックは素っ気なくそう言うと、ウインカーを上げ、車を走らせた。ロックの向かう先は決まっている。あの博物館だ。車は順調にそこへ向かう。ここからなら、三十分で着くだろうか。
「五年前、僕はドクターに捨てられた。それまでは、ラボで一緒に暮らしていたんだ。なぜドクターが突然居なくなったのか、いまだに僕には分からない」
「……」
 ロックは何も答えない。ずっと前を見ながら運転をしている。僕は構わず話を続ける事にした。
「ロックには話した事なかったけど、ドクターが居なくなる直前、アカネが死んだんだ。何年か後になってから、萌黄が言っていた。ドクターがアカネを殺したって。でも、本当は僕はそんな事信じてない。だってドクターがアカネを殺す理由なんてないし、僕は実際この目で確かめたわけじゃない。ただ萌黄からその時の事を聞いただけだ。僕が見たのはアカネの死体だけ……」
 僕は自分で話しながら、また涙をこぼしていた。泣きすぎたせいか瞼がすり切れるように痛かった。喉が苦しい。
「無理しなくていい」
 ロックは僕の方を見ることなく、そう言った。
「……ごめん。大丈夫。ロックに聞いて欲しいんだ」
 僕は深呼吸し、気を取り直して赤くなった瞼をこすった。
「萌黄の話では、ドクターはアカネに薬を飲ませたと言っていた。彼女は抵抗しなかったらしい。そしてそのまま死んだんだ。萌黄はその後ドクターによって電源を落とされた。そして僕はアカネの死体を見つけた」
「死体はどうした?」
「え?」
 僕はロックの言っている意味が分からなかった。
「アカネの死体。その後どうしたんだ」
「え、あ、うん。それがよく分からないんだ。僕はその後すぐドクターによって気を失わされたから。萌黄の話では、ドクターが処分したって。電子メールでそう言っていたらしい。萌黄もその後確認に行ったけどすでに消えていたって。僕もしばらくしてからアカネの部屋に行って確認した。跡形もなく、夢みたいに消えていた」
「消えたのは、ドクターとアカネか」
「うん。でもアカネは死んでしまったけれど」
「そうとも限らない」
「え?」
 ロックはハンドルに置いた指をトントンと鳴らした。何かを考えているらしい。
「ずっと考えていたんだが、最後に萌黄が言った言葉。“アカネ”。あれはどういう意味を持っているのか」
「“アカネ”……。きっと最後に萌黄は会いたかったんだ。アカネは萌黄の恋人だったから」
 僕はそう思っていた。きっと萌黄が消滅する瞬間、最後に思い出した恋人の名前。やっぱりずっと忘れていなかったんだ。
「そうかな」
「きっとそうだよ」
「萌黄は電脳だぞ。どんなに精巧であってもプログラムには変わりない。その萌黄がそんな“思い出”に振り回されたとは思えない」
「ロック、何が言いたいの? 有り得ない事じゃないよ。だって現に二人は恋人同士だったんだから」
 しかし、ロックにとって僕の意見は眼中にないらしい。構わず話を進めている。
「おそらく、萌黄はあの時“見た”んだ」
「見た? 何を?」
「アカネだよ」
 僕はロックの言わんとする事が理解できなかった。
「あの時、萌黄は“アカネ”を見た。だからその名前を俺達に残した。そう考える方が自然だろう」
「不自然だよ! だってアカネは五年前に死んだんだ。僕も萌黄も確認したよ」
「……実際俺は使った事はない。だが、仮死状態にできる薬があると聞いた事がある。ドクターはそれを使ったんじゃないだろうか。それならアカネが抵抗しなかったのも合点がいく。一時的に“死ぬ”だけだからな」
「仮死……」
「アカネは死んでない。俺の予想だがな」
 アカネは死んでいない。それは、僕にとって青天の霹靂だった。あの時、冷たくなったアカネを見て触れて確かめた。でもアカネは生きているかもしれない。例え夢でも、ロックのその話は僕に一筋の光を与えた。でも問題がある。
「でも……」
「何だ?」
 僕はアカネが死んだ時の、萌黄の話を思い出した。
「萌黄が言っていたんだ。アカネは、元々脳の病気だったんだ。医師にも死期を宣告されていたって。アカネはそれを知っていて、萌黄と脳をつないだんだ。それで死期が近づく事も知っていた。僕は、アカネが死んだのは寿命だと思う……」
 言っていて悲しくなってきた。
「……例の脳波の話だが」
「え?」
 また急に話を変えられて、僕は一瞬ロックについて行けなかった。ロックはそのまま話を続けた。
「さっき言った脳波を使った兵器。実際どんな脳波をどんな風に使うのかは知らんが、その特別な脳波はごく少数の人間が持っていると言われている。例えば、仮に、その脳波をアカネが持っていたとしたら?」
 僕には、ロックが何を言おうとしているのかが理解できないでいた。
「その特別な脳波を持つ人間を、奴等が放っておくはずがない」
「奴等?」
「世界政府。今回の依頼者で、兵器を開発していると噂されているところだ」
 ロックは話を続けた。
「ヒト型ロボットの暴走事件が流行った事があったろう? 時期を同じくして、人間の失踪事件も相次いでいた。憶えているか?」
「え? あ、うん。あの時の事は嫌でもよく憶えてるよ。五年前、ちょうどアカネとドクターがいなくなった時だ」
「そうだ。色々な憶測がなされたが、結局失踪した人間は誰も見つからないまま、事件はうやむやになった」
「うん。そうだった。いつの間にか、誰もその事について話さなくなった」
「当時、俺はその事について調べた。どうも変な感じがした。調べていくうちに、失踪しているのは、ある特定の人間である事が分かってきた」
「ある特定の人間、って?」
「例の“脳波”を持っているであろうと予想される人間だ」
「つまり、どういう事?」
「失踪していたんじゃない。彼らは拉致されていたんだ。特別な“脳波”を持つ人間を必要とする機関に」
「世界、政府……」
 僕は背筋がゾクッとした。
「そうだ。一時、裏の世界でヒト型ロボットを狩る“ハンター”の噂が広まった。世界政府が極秘に発動させていると言われていた」
「知ってる。その話は聞いた事がある……」
「だが実際は少し違う。“ハンター”が狩っていたのはヒト型ロボットではなく、人間だったんだ」
「人間を……?」
「ヒト型ロボットには、チップを埋め込んでいたに過ぎない」
「チップって、なんの?」
「暴走するためのチップ。それを埋め込んでおけば、ロボットは勝手に暴走して自滅する。あとは世間が勝手にヒト型を追い込んで行くだろう」
「ちょ、ちょっと待って。それとアカネと、一体何の関係があるの?」
 僕はロックの話のスピードについて行けずにいた。
「ああ、つまりな、俺が考えるにドクターはこの程度の情報は掴んでいたはずだ。当然アカネの脳波が特殊な事も、彼女が世界政府から狙われた事も知っていたはず。だから、彼女を一時的な“仮死”状態にして表向き死んだ事にした。そして拉致の対象であった彼女の存在を消した。ドクターとアカネがお前と萌黄の前から消えたのは、完全に政府の目から逃れるためだ。現状から判断して、それは成功したんだろう。その後ドクターは、何らかの形でアカネの延命治療を行った。あのゲートのキーと、萌黄の残した言葉で確信した。アカネはドクターといる。まだ生きている」
 僕の目からは涙がこぼれていた。二人がどんな形であれ、生きている可能性がある事が嬉しかった。
「ただ、いまいち分からないのはその目的だ。例のゲートが、アカネの脳波を使った兵器の試作品だという事は実際触れてみて分かったが、彼が何の目的でそれを作ったのかが分からない……」
 ロックはハンドルを握ったまま、黙り込んだ。僕も一緒に考えた。
「ゲートか。そういえば、萌黄とスイッチングして気を失う瞬間、匂いがしたんだ。すごく懐かしかった。あれは沈丁花の匂いだ。好きだったな。ラボの庭に咲いていたんだ」
「匂いがした? そんな馬鹿な」
 ロックは驚いて助手席の僕を凝視した。思わず横にそれたハンドルを、僕は手を伸ばして慌てて元に戻した。ロックがこんな風になるなんて珍しい。
「ああ、すまん」
 そう言うと、ロックは体勢を整えた。だが右手を口に当てて深く考えているようだ。
「ロック?」
 僕は少し不安になった。何かおかしな事を言ってしまったんだろうか。僕がじっとロックの横顔を眺めていると、突然ブレーキを踏み急停車した。あまりに唐突だったので、僕はダッシュボードに頭を突っ込みそうになった。
「何? 何があったの?」
 ロックはじっと前を見つめたままだ。だがさっきと違って目が輝いている。
「そうか。そうか、分かったぞ!」
 ロックは、僕の肩を両手でがっしり掴んだ。
「え? 何? 何の事?」
「匂いがしたんだな?」
「あ、うん。したよ。沈丁花の。したけど、それがどうしたの?」
 ロックはニヤリと笑うと、こう言った。
「行き先変更だ。ラボに向かうぞ」
 言ったと同時に、ロックは勢いよく車を反転させた。その上、またもや急発進だ。乗っている人間の事を全く考えていない。
「ロック! 一体なんなの?」
 僕はさっきから翻弄されてばかりだ。運転席の男は一人で考えて一人で納得している。僕には全然意味が分からない。僕の話を聞いていないのか、ロックはぼそっと呟いた。
「なるほどな。あの人の考えそうな事だな」
「え?」
 予想しない言葉に、僕は思わず聞き返してしまった。あの人って、ドクターの事? ロックはドクターの事を知っているのだろうか。
「あ、あのロック。ひとつ聞いていい?」
「何だ?」
「ロックは、ドクターの事、前から知ってたの?」
 ロックは一瞬きょとんとしたが、ニヤリと笑って僕を見た。
「ああ、もちろん。お前は知らなかったかもしれないけど、裏の世界ではかなりな有名人なんだぜ。あの人を知らない人はいない。あれだけの技術力。ある意味伝説みたいな人だ。改造屋で“ドクター”なんて称号があるのは、あの人くらいさ」
 そんな事初めて聞いた。そりゃ、それなりにお客はいたけど、いつも汚い格好していたし。
「そうなんだ……。そんな事、ドクターは教えてくれなかった」
「そりゃそうだろうな。お前を危険な目に遭わせたくなかったんだろう。お前を拾ってから、ドクターは裏の世界から消えた。正確に言うと、消えたんじゃなくて、裏の世界の表舞台に出なくなった。文字通りひっそりと暮らすようになったんだ」
「ロック、どうしてそんなにドクターの事知ってるの?」
 僕には不思議でならなかった。
「俺の、“相棒”の生みの親だからな」
 そう言うと、ロックは親指でくいっと後部座席を差した。そこには、あのジェラルミンケースが大事に置いてあった。さっきのひどい運転にもビクともしないように、しっかりと固定してある。ロックは、基本的にものを大事に扱わないが、このジェラルミンケースのコンピューターだけは別だった。
「最初に製作したのは、ドクターがお前を拾う前だった。何度か改良やメンテナンスを繰り返した。お前を拾った後も、俺は何回かラボに行ってるんだぜ」
「え、そうなの? それも知らない。もしかして、会った事あるの?」
「いや、直接会った事はない。知らなくて当然だ」
「でも、僕ずっとラボにいたよ」
「いなかった時がある。お前はよくドクターにお使いを頼まれていただろう。俺がラボに行っていたのは、そういう時だ。お前の留守をねらって行っていた。前もってドクターから連絡が来るんだ。だから、俺達はあの当時直接会った事はない。でも俺はお前を知ってた」
「え? どうして?」
「こっそり、見に行った事がある。あのドクターが惚れ込んでいるのはどんな奴だろう、ってね」
「あ、悪趣味だなあ」
「プロと言ってくれ。全然気付かなかったくせに」
「それは、そうだけど……。でもひどいな。ドクターはロックをラボに呼ぶために、僕をお使いに行かせていたなんて」
「いや、それは誤解だ。毎回の事じゃない。あの人は単純に食べ物にこだわっていただけだろう。ほとんどが純粋なお使いだったみたいだぞ」
「あ、そうなの」
 僕は何となくホッとした。
「あの、ちょっと聞いてもいい?」
「何だ?」
「ロックの“相棒”って、いくらぐらいかかったの?」
 純粋な疑問だ。これ程のものを作るのには、かなりの費用がかかったに違いない。僕にだってそのコンピューターがどのくらいの価値があるかぐらいは分かる。きっとすごい金額だ。
「ただ」
 僕は、ロックが何を言ったのが理解できなくて、一瞬遅れた。
「……え?」
「だから、ただ。俺からはいっさい金は出していない」
「な、なんで? どうして?」
「交換条件なんだ」
「交換、条件?」
「ドクターが言ったんだ。このコンピューターを作る代わりに、自分に何かあった時には、アサギを頼むってね」
 僕は、ロックがなぜ僕達の前に現れたのか、初めて理解した。