あの日、いつにもまして夕日が大きかった。
僕はその日する事もなく、待合室にポケット型のテレビを持ち込んでいた。一日中ずっとテレビを眺めていても、同じ情報ばかりが繰り返されていた。
ニュースでは、このところ頻繁に起こるヒト型ロボットの暴走事件の事を伝えていた。それまで大人しかったロボット達が、突然何かに取り憑かれたように人間や建物を襲うのだ。そして突如停止する。大きな被害こそなかったが、その事件は各地に広がっていた。不思議な事に、暴走するのはヒト型のロボットに限られていた。世論の高まりと同時に、ヒト型ロボットの製造は世界的に禁止され、すでに製造されていたロボットも各地で廃棄された。ドクターやアカネが言っていたようになっていた。ドクターの仕事柄、僕の耳にもある程度の裏情報は入ってくるのだが、ハンターが暗躍しているという話は聞かない。でもロボット廃棄業者が儲かっているという話はよく聞く。本当のところは分からない。
それと時期を同じくして、人間の行方不明者も出るようになったいた。色々な知識人達が、口々に色々な事をしゃべっていたが、僕にはそれらの意見は全ていまいちピンと来なかった。なぜなら、結局最後は皆一様に“原因不明”でそれらの事件を片づけていたからだ。ヒト型ロボットの暴走事件も同じだ。表向きの専門家の言う事はあてにならない。
僕は萌黄の事を考えていた。あのまま、萌黄がヒト型のままだったら、他のヒト型と同じように暴走していたのだろうか。おそらくそれはない。でもヒト型のままだったら、間違いなく業者の手によって廃棄されていただろう。アカネの判断は正しかった。
その日早朝に出かけたドクターは、夕方日が沈むぐらいになって帰ってきた。朝ラボを出る時、ドクターは何も言わないまま、僕が入るくらいの大きな空の茶色いトランクケースを携えて出ていった。夕方、帰ってきたドクターの手にあるトランクケースには、確かに何かが入っている気配があった。それもかなり重いものだ。ケースを降ろしたドクターの手のひらが、しびれたように白くなっていた。ドクターの帰りをずっと待合室で待っていた僕は、ドクターの姿を見るなり、玄関に飛び出した。
「おかえりなさい、ドクター。どこに行ってたんですか?」
僕がそう言っても、ドクターは返事さえしない。
「ドクター、ねえ、ドクター」
何度呼んでも、やはり無反応だ。変だ。いつものドクターじゃない。ドクターはそんな僕に見向きもせずに、ずんずんラボに向かっている。
「ドクター!」
振り返ろうともしないドクターにしびれを切らせた僕は、思わずドクターの持っていたケースに飛びかかった。そのはずみでケースの留め金が外れ、中に入っていた物体が僕の目の前に露わになった。
一瞬、僕の心臓がドキリと音を立てた。
そのトランクケースの中に入っていたのは、紛れもなく“萌黄”だった。でも全く動作反応がない。まるで鉄の塊みたいに、萌黄はピクリとも動かない。主電源を切られているんだ。
「ドクター! 一体どうしたんですか? 萌黄どうなったんですか? アカネは一緒じゃないんですか?」
僕のその問いに一言も答えず、無表情のままドクターは萌黄を携えてラボに入っていった。僕はラボの扉を何度も何度も叩いたが、中からは何の応答もなかった。内側から鍵がきっちり閉められている。合い鍵を持たない僕には、どうする事もできなかった。
アカネに何かあったのかも知れない。僕はたまらず家を飛び出した。アカネの住所は萌黄を作ったときの契約書を見ていて知っていた。他の客の情報は知らなくても、僕はアカネの情報だけは知っている。アカネは、それだけ僕にとって特別な存在だった。
僕は無我夢中でアカネの家に向かった。記憶を頼りにたどり着いたそこは、ただただ四角いコンクリートの建物だった。アカネの部屋は、そのビルの六階にある。僕は急いで冷たい鉄骨の階段を駆け上がった。昔オフィスビルだったらしいその建物は、一フロアに向かい合わせで二つの部屋しかなかった。一つの部屋にはドアがなく、以前使われていたらしいオフィスの机や椅子が、壊れた状態で転がっていた。長い間人が触れていないのが分かる程、床の上には白くて厚い埃が積もっていた。もちろん人が住んでいた形跡はない。僕は息を整えながら、もう一つの部屋の前に立った。ドアはついているが表札らしいものはなく、そこが果たして本当にアカネの部屋であるかは確信はなかった。しかし僕は意を決してその部屋に飛び込む事にした。
ひんやりとしたドアノブに手をかけた。予想外に鍵はかかっていない。どうしても開かなければ、ドアを蹴破ってでも入るつもりだった僕は、少し出鼻をくじかれた。とりあえず部屋の中に足を踏み入れる。
そして僕は部屋の中で、ベッドに横たわっているアカネを見つけた。部屋に争った形跡はなかった。ただ女の子にしてはとても閑散としいる白いその部屋は、いつも見ていたアカネのイメージとは違っていた。アカネはベッドの上でそっと手を組んでいた。その手は冷たかった。
どのくらい時間が経った頃だろうか。いつの間にか僕の後ろにはドクターが立っていた。最初に口を開いたのはドクターだった。
「アサギ、アカネは……」
「ドクター。手が、冷たくなっていく。ずっとアカネの手を握ってるのに、どんどん冷たくなって硬くなっていく。どうして……」
「アサギ」
「白い肌が、もっと白くなって、透明になってしまう」
僕はいつの間にか泣いていた。自分でもびっくりするぐらい声を出して泣いていた。ドクターは何も言わずにつぶれるぐらい僕を抱きしめた。
僕が少し落ち着きを取り戻した頃、ドクターは僕を抱きしめたまま囁いた。
「さよなら、アサギ」
「え?」
僕は一瞬何を言われたのか分からず、ドクターの顔を見上げた。その拍子に口づけをされ、同時に小さなカプセルを飲まされた。そして僕はそのまま気を失った。
目が覚めた時には、僕は自分のベッドに寝ていた。傍らには、黒ヒョウの姿をした萌黄がいた。どんなに姿が変わっても、僕には“萌黄”だと分かる。
『目が覚めましたか?』
「うん……」
僕はだるい体にムチを打つように起きあがった。頭痛もする。
『体調はいかがですか? 頭痛や吐き気は』
「ちょっとだけ。ねえ萌黄、ドクターは……」
少し迷ったようだったが、萌黄は言った。
『ドクターはいません。あなたをここに置いた後すぐ出て行かれました。もうここには戻らないそうです。このラボではなく違うところに住むようにと。アサギにそう伝えてくれと仰っていました』
「何故? どうして? 僕何かやったのかな。何か嫌われる事したのかな」
僕は涙を止める事ができなかった。そうだ、アカネ。
「アカネは?」
萌黄は少し目を細めた。
『アカネは、死にました』
やっぱりあれは夢じゃなかったんだ。
「アカネが冷たくなっていったんだ。僕はずっと手を握っていた。そしたらドクターが来て僕に薬を飲ませたんだ。そして……」
『あなたを抱えてここに戻ってきました』
「アカネは何で死んだの」
『私と脳をつなげた事で負担がかかり死期が早まりました』
「死、期?」
『元々彼女は脳の病気でした。彼女自身、医師の宣告で自分の死期は知っていました。私と脳をつなげる事で、より負荷がかかり死期を早める事も知っていました。それでも彼女はそれを選びました。ドクターもそれを承知の上でチップを彼女に埋め込みました』
僕だけ知らなかったんだ。僕だけ仲間外れだった。
『あなたが目覚める前、ドクターからラボの端末にメールが届きました。彼女の身体はドクターが処理したそうです。もうあの部屋にはありません。私も確認してきました。すでに部屋の荷物も何もかもが処分されていました。メールと一緒にウィルスも届けられた為、端末とラボ内のほとんどの装置は破壊されました』
淡々と話す萌黄。
「萌黄は何ともないの?」
『というと?』
「萌黄のマスターはアカネでしょう? アカネがいなくなってしまってこれからどうするの?」
『アサギの傍にいます』
「僕の?」
どういう事?
『ドクターが私の身体を変えるとき、一緒にプログラムの変更をしていきました。今、私のマスターはアサギです』
「そんな簡単に……。萌黄はそれでいいの?」
『アカネの遺言でもあります』
「遺言、アカネが?」
『はい。彼女の意識がなくなる直前に、自分が死んだら、私にアサギの傍にいるようにと。プログラム変更がなくても、私はアカネの遺言通りにするつもりでした』
僕は泣く事しかできなかった。
『ずっと傍にいます』
萌黄は不器用に僕の頭をなでてくれた。萌黄は泣く事ができなかった。開け放たれた窓からは、ほのかに沈丁花の香りがしていた。
そして萌黄の言う通り、ドクターは帰って来なかった。
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