どういう訳か、急に珈琲が飲みたくなった。
胃に負担がかかるので、ここ何年かは飲むのを控えていた。
しかしシトシトと降る梅雨の雨を眺めていたら、
何故だかそういう気持ちになった。
それと同時に、懐かしい珈琲豆の香りが鼻先に流れてきた。
ふと見ると、傍らにカフェがある。
はて、こんな所にカフェなんてあっただろうか?
手元の腕時計に目をやると、会社に帰るまでにはまだ少し時間はある。
たまにはゆっくり休憩をするのも悪くない。
カフェは仄かな雨の音に包まれていた。
しっとりした黒塗りの木肌が心地良い。
微かにほの暗く、それでいて橙色の電球があたたかい。
外壁に絡まる蔦は、窓越しに濃緑の陰を落としている。
「雨が似合うカフェですね」
何となくそう思い、主人に言った。
「“雨降りのカフェ”でございますから」
主人はにこりと笑って、煎れたての珈琲を静かに置いた。
“雨降りのカフェ”。そういえば、店先に小さくそんな名前が付いていた。
「ごゆっくりどうぞ」
主人はそう言うと、奥のカウンターへ戻っていった。
久しぶりの珈琲は懐かしい味がした。
静かな雨の音が聞こえる。
雨はこんな音をしていたのか。
目を瞑り、雨の呼吸を聴き、雨の味がする珈琲を飲み、時を過ごした。
少し雨がやみ始めた頃、会社に戻る事にした。
「ごちそうさま。おいしかったです」
「ありがとうございます」
主人は先程と同じ笑顔で答えた。
「また来ます」
そう言うと、主人はこう答えた。
「ぜひまた、おいで下さい。雨の日に、お待ちしております」
「雨の日に?」
「はい、雨の日に。当店は“雨降りのカフェ”でございますから」
そういえばここは“雨降りのカフェ”だった。
何故だか漠然と、主人の言う事に納得できた。
「そうですね。じゃあ、また雨の日に」
「お待ちしております。ありがとうございました」
また雨の日に。
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