雨降りのカフェ  +6月11日+


 
どういう訳か、急に珈琲が飲みたくなった。
 胃に負担がかかるので、ここ何年かは飲むのを控えていた。
 しかしシトシトと降る梅雨の雨を眺めていたら、
 何故だかそういう気持ちになった。
 それと同時に、懐かしい珈琲豆の香りが鼻先に流れてきた。
 ふと見ると、傍らにカフェがある。
 はて、こんな所にカフェなんてあっただろうか?
 手元の腕時計に目をやると、会社に帰るまでにはまだ少し時間はある。
 たまにはゆっくり休憩をするのも悪くない。

 カフェは仄かな雨の音に包まれていた。
 しっとりした黒塗りの木肌が心地良い。
 微かにほの暗く、それでいて橙色の電球があたたかい。
 外壁に絡まる蔦は、窓越しに濃緑の陰を落としている。
 
 「雨が似合うカフェですね」
 何となくそう思い、主人に言った。
 「“雨降りのカフェ”でございますから」
 主人はにこりと笑って、煎れたての珈琲を静かに置いた。
 “雨降りのカフェ”。そういえば、店先に小さくそんな名前が付いていた。
 「ごゆっくりどうぞ」
 主人はそう言うと、奥のカウンターへ戻っていった。

 久しぶりの珈琲は懐かしい味がした。
 静かな雨の音が聞こえる。
 雨はこんな音をしていたのか。
 目を瞑り、雨の呼吸を聴き、雨の味がする珈琲を飲み、時を過ごした。

 少し雨がやみ始めた頃、会社に戻る事にした。
 「ごちそうさま。おいしかったです」
 「ありがとうございます」
 主人は先程と同じ笑顔で答えた。
 「また来ます」
 そう言うと、主人はこう答えた。
 「ぜひまた、おいで下さい。雨の日に、お待ちしております」
 「雨の日に?」
 「はい、雨の日に。当店は“雨降りのカフェ”でございますから」
 そういえばここは“雨降りのカフェ”だった。
 何故だか漠然と、主人の言う事に納得できた。
 「そうですね。じゃあ、また雨の日に」
 「お待ちしております。ありがとうございました」

 また雨の日に。